巻頭
歐米を巡つて
勝木 保次
1
1醫歯大生理
pp.51
発行日 1953年10月15日
Published Date 1953/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.2425905734
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一年餘の外國生活を終え羽田に着いて,先ず感じた事は,凄く數多い日本人の體格の貧弱な事と,街の汚い事であつた。是は米英北歐が偉大な體格の持主であり,北歐諸國の道路が常に清掃されていたからであろう。そして又昨夏僻易した米國中部に劣らぬ暑氣とひどく湿度の高い事に驚いた。外國を知らない間は,餘り苦にならなかつた日本の氣候が,こんなにも嚴しいものであつたのかとどうしても信ぜられなかつた。穏和どころか全く逆である。これにも増して本當に悲しかつたのは研究室の設備である。筆者の研究室は戰後新設されたもので,歴史の古い諸教室と異り古典的な機械は殆どなく,最新のもののみを集めて一應滿足していたのであつたが,見較べて餘りにも貧弱なのにがつかりさせられた。
勿論米國の豊さとは初めから比較にならぬ位は覚悟してはいたものの,その差が餘りあり過ぎる。外國事情にうとい我國がいつも不利な立場にある事は常々感じではいたが,今度こそ如何に我々が外國について無知であつたかが明確にわかつた。戰爭のおこつた原因の一つに,我々が先進國について何も知らなかつた事が擧げられているが,外國書を讀み慣れ文通もしていた我々自身ですらこんな次第だから,敗戰の憂自を見たのも無理からぬ事である。日本が先進國と地理的に餘り離れ過ぎている事が如何に大きい影響を與えている事だろう。
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