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私事ながら,大阪から京都に異動して1年が過ぎた.いつかこんな散文を書けるようになれたらいいと思いながら,毎月「扉」を拝読し,脳神経外科医としての25年あまりを過ごしてきた.京都1年の節目に「扉」に寄稿を,との嬉しいご依頼であり,ここは勇んで京都や大学のことから書かねばなるまい.
私どもの京都府立医科大学の起源は,1857(安政4)年11月に創立された長崎奉行所西役所医学伝習所(現・長崎大学医学部)から遅れること15年,1872(明治5)年11月にさかのぼる.粟田口の青蓮院門跡に「療病院」がおかれ,ドイツ人医師ヨンケル(Junker von Langegg, 1828-1901?)が診療を開始した.天皇が東京へ遷られて,意気消沈した民間京都人による意志と出資から創立されたことが記録に残る.時は廃仏毀釈,門跡だが青蓮院側の財政状況も関与したかもしれない.1880(明治13)年には現在の御所と鴨川の間,河原町通広小路に移され,京都帝国大学医学部(現・京都大学医学部)創立の時を含めて幾度かの「存立危機事態」を切り抜けた,と「京都府立医科大学百年史」(1974年発刊)にはある.最近では,明治〜大正期の大学門,「白い門」が河原町通に面して復元され,昭和初期に建てられたネオゴシック様式の旧図書館棟(京都府指定文化財)は大学本部棟として今も機能している.背後を流れる鴨川を渡って歩けば15分,京都大学医学部は常に「お隣さん」でありつづけた.これほど近くに国立官営の巨大大学があって,京都府立医科大学の存在意義とは何だったのか.先日,思いがけず,おそらくはこれも存在意義の1つではないか,ということに気づかせてくれた旅があった.
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