教室だより
京都府立医科大学
井上 進
1
1京都府立医科大学
pp.166
発行日 1969年2月20日
Published Date 1969/2/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200628
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北に比叡を仰ぎ,南に開け,東面して鴨のせせらぎ,西は御所の森と対峙する風光明眉の一角に京都府立医科大学があります。本学の歴史は古く,その発祥は明治5年に始まり,大正10年には大学令により医科大学として認可されています。しかし本学における泌尿器科の呼称は比較的新しく,京都府立医科大学八十年史によれば大正12年3月当時の皮膚科学教授中川清先生があらたに皮膚科泌尿器科学教授に任命せられた時に始まるとされています。聞き伝えるところによれば,昭和の初め鈴木成美助教授(のちに微生物学教授となる)が東大泌尿器科に内地留学しておられ,教室誕生の陣痛の兆候であつたともいえましよう。戦後,片岡八束先生,岩下健三先生が教授として教室を主催され,教室の発展,子弟の育成につくされており,この間に第2回と第8回日本皮膚科泌尿器科中部連合地方会が開催されています。
現在の泌尿器科学教室は岩下先生の善処と儘力によつて昭和39年5月に皮膚科学教室と分離し新設されました。外来診察室,研究室,医局などは古い建物のままでしたが,小田完五教授を初代として新しい第一歩をふみ出しました。当時は教授を含めて教室員は僅か5名,文字通りコマ鼠のように日夜教育,研究そして臨床に追いまわされたものでした。
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