扉
脳神経外科と地域医療の発展
牧野 博安
1
1千葉大学脳神経外科
pp.811
発行日 1987年8月10日
Published Date 1987/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436202446
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私が自分自身をまだまだ若いんだ,あんな連中になんか負けるもんか,なんて思っていたのは本当に数年前のことである.近頃は年老いたというか,遠慮深いというのか,気が弱くなったというのか,どうも覇気がなくなった.しかしまだまだやるんだという気構えは十二分にある.若い連中の手術の話を聞いていると,まだだなあと思うこともあるし,また,おやと思う位彼等の進歩に驚くこともある.
私がこの脳神経外科を自分の一生の仕事にしようと思ったのは昭和28,29年頃である.米国ではもう十分にこの学問が体系を作っていたし,俺も頑張ってやるんだと思っていた.ただ自分が千葉でこの学問をどうやって行けるかが心配であったし,また米国にあるような疾患が日本に帰ってもあるのかどうかが気にかかっていた.でも自分では,どうあってもこの好きな学問をやりとげて見せると思っていた.東大や京大ではもう相当の数の腫瘍やその色々な手術をこなしていたのも知っていたし,また新潟でも中田教授一派が相当数の脳手術をこなしている.そんな心配をしながら長い船旅をして,まだ米国とは雲泥の差があると見られた横浜の港に入り,そして懐しい千葉に帰った.
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