扉
さむらいの教育
児玉 南海雄
1
1福島県立医科大学脳神経外科
pp.1289
発行日 1986年10月10日
Published Date 1986/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436202297
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必死になって手術をしている脳神経外科医を見ると,私はいつも美しいと思い「さむらい」を連想する.作家の司馬遼太郎氏によれば,戦国時代に輩出した武士は,形而上的なものに精神を託することはなく,物欲,名誉欲,権勢欲を追求した.しかし,その後300年間の太平期を経て形而上的思考法が発達し,私的な野望をもつべきでないという,いわゆるさむらい独自の美学を生み出した.江戸末期,かの壮烈な北越戦争をくりひろげた河井継之助に代表されるように,公のためには地位も名誉も命さえもいらぬという,世界に類例のない美学を実践した人物もいる.ある医科大学では,3年前から「赤ひげよ来たれ,地位,名誉,金銭を望む者は入学無用」という学生募集要項を出したという.入学後の若き医学徒を如何なる教育でどのような人物にはぐくんでいくのか,教育の効果が実るのは10年,20年先であろうが大いに期待している.
教育論については全くの素人であるが,我国における教育という言葉は,机上での読み書きそろばん,いわゆる知識,技術の習得に重きをおいている.これは,明治になって開国した政府が,西洋の科学技術文明に驚嘆し,その模倣,再現に役に立つ知識技術を早急に習得させるべく学校教育に力を入れたことに起因していると思われる.
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