扉
般若心経
畠中 坦
1
1帝京大学・脳神経外科
pp.785-786
発行日 1983年8月10日
Published Date 1983/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436201705
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昭和38年(1963年)の晩秋であったかと思うが,東大病院清水外科医局で恒例の実験動物慰霊祭が導師畠中坦によってとり行われた.祭主は清水健太郎教授である.入局年次ごとに当番のクラスが行うのだが,毎年の坊主役に指名された医局員は上野のお寺から法衣や木魚を借りてきて,もっともらしくこれをとり行い,祭主の教授の弔文朗読が終ると酒肴が供されておひらきとなるのが常で,弔文にしてからが,聞いている者がふき出したくなるのを必死で我慢したくなるような内容であるくらいの「慰霊祭」であった.
私が坊主役を押しつけられたのは「あいつはクエーカー(プロテスタント)だからちょっと趣向が変って面白いから」という理由のようであった,クエーカーは正式名をフレンド派といい,クロムウェルの清教徒(ピューリタン)革命の頃に生れたもので,ピューリタンとほぼ同時にWilliam Pennに率いられて米国へ渡来したために,日本ではピューリタンと混同されることもあるが,フレンドの方は他宗派を弾圧したり排撃したりということが全くなく,牧師もおらず,戒律もなく,聖書や讃美歌もあまり重視せず,一人一人の人間の心の内に神が宿るという中心思想を抱き,儀式めいたこともほとんどやらない(日本人で米国のクエーカーの礼拝会に出席して大きい影響を受けた有名人の中には新渡戸稲造と内村鑑三がいる.クエーカーは教会制度を持たないが,内村さんが無教会派を後に率いたことは大いに関連がある).
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