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「活物窮理(かつぶつきゅうり)」.1840年代に米国でクロフォード・ロングやウイリアム・モートンらによって行われたエーテル麻酔に先駆けること約40年,麻酔薬「通仙散」による全身麻酔で乳がん摘出手術を成功させた医聖・華岡青洲(1760~1835)が医業を営む上で常に信条とした言葉である.「生きた物の中にこそ物事の真理がある.すなわち,物事をよく観察することによってのみその真理を見極めることができる」という現在の実証医学にも通じる考え方である.
華岡青洲は紀州平山(現在の和歌山県紀の川市)で外科医として診療を行いつつ,春林軒(しゅんりんけん)と呼ばれる医塾を主宰して全国から集まった多くの若手医師たちの指導を行った.青洲が没する1835年までの間,和歌山の片田舎にある春林軒を訪れた門弟はなんと1,000人以上を数え,身分や家格などを問わず,能力のある人材を幅広く受け入れたそうである.1774年に人体解剖学書「ターヘル・アナトミア」が前野良沢・杉田玄白らによって翻訳され,時はちょうど日本の医学が旧来の経験と勘によるものから実験と検証を重視する科学的なオランダ医学へと変わりつつあった時期でもある.このような時代背景のもと,青洲は麻酔薬の開発に着手する.そのきっかけは,青洲がまだ二十代前半で京都に遊学していた頃の経験に由来する.当時の外科手術はもちろん麻酔薬などなく,焼酎のような強い酒で患者を酔わせた状態で行っていた.外科手術はまさに死ぬような苦痛を伴ったであろう.このような状況をみて,青洲は「手術中の患者の苦しみをなんとかして和らげたい,どうすれば苦痛なしに多くの人の生命を救うことができるのだろうか」と思い悩んでいたに違いない.
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