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特別寄稿
Uchimura Artery(Arteries)
Uchimura Artery(Arteries)
佐野 圭司
1
Keiji SANO
1
1富士脳障害研究所附属病院
1Department of Neurosurgery,Fuji Brain Institute & Hospital
キーワード:
hippocampus
,
Ammon's horn sclerosis
,
hippocampal arteries
,
Sommer's sector
,
epilepsy
Keyword:
hippocampus
,
Ammon's horn sclerosis
,
hippocampal arteries
,
Sommer's sector
,
epilepsy
pp.365-373
発行日 2006年4月1日
Published Date 2006/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436100199
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内村祐之(ウチムラユウシ)(1897-1980)(Fig. 1)先生38,39)(以下,敬称略)は無教会派の基督者として名高い内村鑑三(1861-1930)の長男として明治30年,東京に生まれた.独協中学から第一高等学校(以下,一高)に進んだ.中学時代はゲーテ,シラー,ハイネなどを読みふけったという.一高に入ってから野球に熱中した.もともと100mを11秒で走る程運動神経に恵まれた方であったが,たちまち左利き投手として一高のエースとなった.
大正6~7年(1917-1918)一高野球部の全盛時代(まだ六大学リーグはなかった)で,内村は早稲田大学,慶應大学をほとんどの場合,シャット アウトし,日本一の大投手としてマスコミに騒がれた.内村自身の言によると,外角をかすめる速くて鋭いインドロップ(現在の言葉で云う鋭く落ちるカーブか)は誰にも打たれなかったという.後年,内村は阪神タイガース時代の江夏投手を見て,「自分に似ている.しかし彼のpitching formは泥くさいが,自分のformはもっとスマートだった」と言っている.きめ球がよく似ているということであろう.内村の学生時代の文部省高官は「君が将来どんなに有名になっても,今以上有名になることはあるまいよ」と内村に言ったという.
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