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はじめに
脳神経外科医に限らず,多くの医師が仕事に追われています.とにかく目の前に大勢の患者さんがいるから,検査・診断・治療をしなければならないという意識,義務が先に立って,自分たちがした仕事をfeedbackしてみることができない,ましてやそれを活字にする時間がないのが現状ではないでしょうか.
日本人にとって,母国語でない英語の論文を書くことは,とてつもない時間と労力が必要です.でもなぜ自分がこんなことをしているのか? と考えたとき,文章に残すことは人生の成果として俳優や監督が映画を残すように医師として何か一つこの世に残せるものではないでしょうか.
今回は一つの論文が,EPILEPSIAという雑誌に受理されるまでの2003年1月からの約2年半の記録を,英文論文かつ学術論文としての書き方に触れながら,日誌的に書いてみました.日本語ではなく英語の論文を書くことで,何ゆえ論文を書くのか? 何を書きたいのか? どう書くのか? を愛読している著書と文献を引用しながら書いてみたいと思います.
村田蔵六(大村益次郎)について司馬遼太郎が次のように書いています.
“ある仕事にとりつかれた人間というのは,ナマ身の哀歓など結果からみれば無きにひとしく,つまり自分自身を機能化して自分がどこかへ失せ,その死後痕跡としてやっと残るのは仕事ばかりということが多い.その仕事というのも芸術家の場合ならまだカタチとして残る可能性が多少あるが,蔵六のように時間的に持続している組織のなかに存在した人間というのは,その仕事を巨細にふりかえってもどこに蔵六が存在したかということの見分けがつきにくい.つまり男というのは大なり小なり蔵六のようなものだと連載の途中で思ったりした.ごく一般的に人生における存在感が,男の場合,家庭というこの重い場にいる女よりもはるかに希薄で女のほうがむしろより濃厚に人生の中にいて,より人間くさいと思ったりした.その意味ではナマ身の蔵六の人生はじつに淡い.要するに蔵六は,どこにでもころがっている平凡な人物であった.ただほんのわずか普通人,とくに他の日本人とちがっているところは,合理主義の信徒だったということである.”
(『司馬遼太郎の考えたこと5』,「村田蔵六――「花神」を書き終えて」,新潮文庫,2005)
司馬遼太郎は希薄という言葉で村田蔵六という男の人生を表現していますが,私も論文を書くことでその希薄から何か濃厚なものをカタチにしたいと考えているのかもしれません.
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