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I.はじめに
今仮りに記憶が一切存在しないとすれば,精神の最高次の「人格」はいうに及ばず,言語・認知・行為の水準から,運動・知覚の神経的水準にいたるまで,いずれもその機能を運営しえぬことはいうまでもない。この種の思想を徹底的に推進すれば,あらゆる精神・神経学的領域の障害を記憶の解体の立場から記述することも不可能ではない。これはまた「精神医学」と「神経学」というきわめてambivalentな両領域を統一的に把握せんとする一つの方法でもある。その代表的構想者Delay(1950)は記憶を「社会的記憶」・「感覚運動的記憶」に二分し,その病理として「精神医学的健忘」・「神経学的健忘」を対応させる。前者の解体の結果として出現する「自閉的記憶」は精神病などと関係し,後者の解体の代表として失行・失認をあげる。失語は両者の中間的な存在であり,言語の失行・失認的要素は神経学的健忘に,「内言語」,「象徴形成」,「範疇的行動」等々の障害面は精神医学的健忘として位置づけられる。WernickeやDejerineの運動・感覚失語論は前者に,MarieやGoldsteinの「唯一失語」・「中枢失語」論は後者に親近する。これは失語における「一般・知性障害」と「道具障害」の理論的対立を記憶論の立場から見直したものともいえる。
このように失語を徹底的に記憶障害として記述することは不可能ではなく,それはそれとして無意味とは思えながが,一方,場合によっては,単なるものの言い替えにすぎぬとの批判も向けられよう。「失語と記憶」をめぐっては種々様々な局面で多数の問題提起が可能である。本論ではとくに「短期記憶」の問題を取り上げる。失語学における最も中核的な問題の一つが問われていると考えられるからである。
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