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筆者らの年代は,日本が太平洋戦争(第二次世界大戦)の敗戦によって,学校制度が新制度へと切り替る旧制度最後の高等学校・大学制度で教育を受けた学年である。従って,大学医学部(4年制)に入学すると,1学年から解剖学の講義と並行して人体解剖実習,次いで組織学の顕微鏡実習など医学の基本となる解剖学で1年が過ぎた。2学年の新学期から生理学,生化学,細菌学,薬理学などの基礎医学の講義が始まった。神経生理学を担当された時実利彦先生(のちに教授)は早口で「○○sensationは脊髄後根から入って,○○を通り,tractus○○を上行してnucleus○○でニューロンを代え,……してthalamusに達する。また××sensationは……」と講義される。protopathicもdyscriminativeもよくわからない中,極く大まかな見取り図が書かれ,線が下から上へと引かれるだけで,解剖名が書かれるでもない。毎回このようにして講義が進められて行った。思い出してみると,旧制度の高等学校では,教師は講義をするが,解らなかったら自分で勉強しろ,という気風であった。大学もその延長であったのであろう。それでも高校では開講前に教科書が指定されていたが,大学では入学時に医学部事務室で尋ねても「教科書はない」と怪訝そうに言われた。実際に各学科の開講時に,いくつかの本が参考書として紹介されるに過ぎず,買う,買わぬ,選択も学生次第であった。
本論に戻って,2学年の1学期が終わった時,神経生理がわからなかった,というよりは,脳,脊髄の組織構造が全くわからなかったので,それを知ろうと思い,解剖学教室の小川鼎三教授室に伺って,夏休みに勉強させて欲しいと申し出た。当時,医学部附属施設の「脳研研究室」(のちの研究所)の室長を先生が兼任しておられたからである。快諾を得て,その日から脳脊髄の染色された連続標本(プレパラート)で勉強することになった。かくして夏休みの朝から夕までを毎日ここで過ごすことになった。しかし,ここで述べるのはその話ではない。
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