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はじめに
アンリ・エー(Henri Ey;1900-1977)は,20世紀フランスにおける偉大な精神科医の1人である(Fig.1)。極めて該博で,秀逸な業績を数多く残したが,生涯,大学の教授職につかず,在野の学者として,かつ,すぐれた臨床家として,また精神医学界における情熱的な論客として活躍し続けた。器質・力動論や意識論を中心とする彼の精神医学論は,今日も,確実に,われわれに大きな影響を及ぼし続けている。彼自身は必ずしも神経学を専門とはしていなかったが,結果的には,精神医学と神経学を架橋しうる学説を提起したと言ってよい。これを象徴するのが彼の提起した「器質・力動論」であると考えられる。この学説は,神経科医であったヒューリングス・ジャクソン(John Hughlings Jackson;1835-1911)の考えを精神医学に導入することを契機として打ち立てられたものである。
私が,サンタンヌ病院の図書館へ入ってこられるアンリ・エー先生をおみかけしたのは1977年の春頃だったように記憶する。既に引退されていて,主な生活の場は故郷であるスペイン国境の南仏においていらしたはずであるが,時折,パリへ出てこられていたようである。私は,1976~1977年の間,仏政府給費留学生としてサルペトリエール病院に滞在し,フランソワ・レルミット(François Lhermitte;1921-1998)教授の下で神経心理学の勉強をしていたが,同時に,サンタンヌ病院におられたアンリ・エカン(Henri Hécaen;1912-1983)教授のセミナーにもほとんど欠かさずに参加していて,本来が精神科医である私の関心を満たしてくれるサンタンヌ病院の図書館は,かけがえのない勉強の場でもあった。渡仏前に,恩師・大橋博司教授のもとで,アンリ・エーの『ジャクソンと精神医学(Des Idées de Jackson à un Modèle Organo-dynamique en Psychiatrie)』(1975年)の翻訳に携わっていたこともあって,エーの学説には深い関心を抱いていた。幸いなことに,私が渡仏する5年前,京都大学の秀逸な先輩であった新井 清先生が渡仏され,1973年の5~6月にかけて,周到な準備をされたうえで,アンリ・エーとの対話を実現しておられ,『精神医学』誌1)に投稿されていた1)ので,エーの近況は十分といってよいほどに,私の脳裏に刻まれていた。アンリ・エー先生は,サンタンヌの図書館に,にこやかに,とびはねるように入ってこられ,ご自分の研究室に直行されていた。それから半年後だったか,私の留学も終わりに近づきつつあった1977年の11月初旬,私は先生の訃報に接することになったのである。
このささやかなポートレイトでは,とりわけ神経学と精神医学に関連した側面に主たる光をあてて,彼の考えをたどってみたいと思う。私は,近著『精神医学再考』(2011)の中で,根本的にはアンリ・エーの視座に立って論考を進めたが,そこでの最も大きな論点の1つが,やはり神経学と精神医学との関連についてであった。
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