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ジャクソン(John Hughlings Jackson;1835-1911)は英国の神経病学者である。信頼できるケリー(Emerson Crosby Kelly;1899-1977)の『医学出典百科』(1948)やギャリソン(Fielding Hudson Garrison;1870-1935)の『医学史 第4版』(1929)では1834年生まれとしているが,1835年4月4日生まれが正しいようである。ジャクソンはヨークシャーのハマートン近郊のあまり裕福とはいえない農家の家に生まれたが,若い頃のことはあまり記録に残っていない。この地はロンドンとエジンバラのちょうど中間にあり,現在でも農地ばかりが広がっている。グラマースクールを終え,ヨーク内科外科学校で医学を学習し,1856年に学位を得,近在のヨーク診療所で働き始めた。ハーバート・スペンサー(Herbert Spencer;1820-1903)の書物に啓発され,1859年にロンドンに出て哲学を専攻しようとした。このとき,同郷のジョナサン・ハッチンソン(Jonathan Hutchinson;1828-1913)の強い勧めでムーアフィールズ眼科病院に勤めたが,その10年ほど前にヘルムホルツ(Hermann Ludwig Ferdinand von Helmholtz;1821-1894)が発見した眼底鏡が彼を魅了し,神経学へ進むこととした。1860年にロンドンの国立神経病院(クイーンスクエア)がブラウン-セカール(Charles Édouard Brown-Sèquard;1817-1894)を主任医師として設立されたが,1862年にジャクソンはこの国立神経病院に雇用され,この後45年間をここで過ごすことになる。
1878年にはフェリアー(David Ferrier;1843-1923)らと雑誌『Brain』を創刊し,編集に携わった。
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