忘れられない患者さんに学ぶ
先達としての患者
青木 矩彦
1
1近畿大学第二内科
pp.771
発行日 1995年9月15日
Published Date 1995/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414901601
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もとより,患者も医師も同じレベルで交流する人間存在である.医師→患者というベクトルは一見自動車を点検するメカニックのように技能を有する医師側優位に見えるが,それは深い医療を行ううえで間違いであることにすぐ気づく.患者をみて,また患者のまなざしを浴びて,言葉を発し,また患者の言葉を受け,そのようなやりとりの中で心と心が相反応し交流する.この交流においても医師は優位を保って患者の心の反応を指導できるべきである.これはHippocratesの昔から人々の頭に描かれてきた医師像である.なるほど,医師はメカニックとしての技能は備わっているが,心のレベルでは患者にむしろ教えられることのほうが多い.心の皺は苦難を担う患者に深く,まして年長者の患者は医師の師である.それは旧くから言われるように,まず病気を診断する術を学ばせていただく媒体であることに始まり,もっと深くは如何に心において優位に保つ(あるいは優位を演ずる)術を学ぶか,いわば対決の姿勢のあり方を学習させていただく媒体でもある.医師国家試験にパスすれば,世間は「医師」と呼んでくれる.活きのよい挙動でアピールする青年医師も,年月を経て深い心の綾を心得た診療を行う老熟の医師も,同じく「医師」である.
常に患者を媒体としながら,若き医師時代の試行錯誤を重ねることにより自ら一個の医師像を造形しつつ,老年医師へ熟成してゆく,このようなすべてのプロセスを含むものが不均一集団「医師」である.
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