Japanese
English
診察術の歴史・7 The Evolution of Physical Diagnosis
アヴィセンナとアラビアの診察術
Avicenna and Arabic Physical Diagnosis
James K. Gude
1,2
,
吉原 幸治郎
1
1佐賀医科大学総合診療部
2University of California-San Francisco, Medicine & Community Medicine.
pp.918-919
発行日 1992年10月15日
Published Date 1992/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414900617
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アヴィセンナ(980~1037年)はアラビア人の医師であり,生涯にペルシャ語とアラビア語の100を越える医学論文を残している1)(図1).彼の書いた"Canon"はそれまでの医学知識を集大成した事典であり,中世ヨーロッパにおいておよそ500年間,医学の基本的な教科書として扱われていた2).パラケルスス(1493年~1541年スイスの医師で錬金術師)が16世紀になり,教条主義化した医学に対抗してガレンの論文とともに"Canon"を公衆の前で火の中に投じたのは有名な話である3).この他にアヴィセンナはal'Arjuzat fi't-tibbやPoem on Medicineなどの短い論文も残している.残念なことに,これらの論文の中には症例の病歴に関する記載はない.これについてガリソンはアヴィセンナの病歴の記載は"Canon"の付録として予定されていたが,紛失したため掲載されなかったと述べている.これらの書物の注釈書はグルナー4),シャー5)およびクリューガー1)により英訳されているが,クリューガーの翻訳がアヴィセンナの臨床診断学をもっとも忠実に表現している.
アヴィセンナは疾病を「人体の異常で不自然な状態」と定義した.さらに,「疾病のsign(徴候)は医師にその病気の本質的な情報を与えるものであり,symptom(症状)は体の不自然な状態から生じた現象である」と述べている.
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