交見室
東京地下鉄サリン事件に当たった一泌尿器科医の思ったこと
福井 準之助
1
1聖路加国際病院泌尿器科
pp.892-893
発行日 1995年10月20日
Published Date 1995/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413901623
- 有料閲覧
- 文献概要
平成7年3月20日,飛び石連休の中日の月曜日,放射線科医との早期カンファレンスおよび泌尿器科医局会,抄読会を終えた直後の午前8時40分頃,救急センターから医師要請の緊急放送が流された。泌尿器科から直ちに永田,藤野,丸の3医師が救急室へ直行し,福井は外来での仕事を片付けた5分後に,救急室に急行した。室内は救急車やタクシーから次々に搬入される患者で溢れ身動きが出来ない状態となっており,医師や看護婦が重症者の処置のために慌ただしく動き廻っていた。一方,比較的軽症の患者は救急室前の待合室で横たわっており,診療順番を待つという混雑状態であった。直ちに重症者の処置に当たったが,当初は次から次へと患者が搬入されてくるため,全ての患者を収容できるかについて不安を抱いた(当日の受診者数640名,入院110名,死亡者2名)。
縮瞳,頭痛,胸部圧迫感,嘔気,嘔吐,シビレ感,鼻汁,呼吸困難,脱力感等の訴えから以前に経験した農薬中毒と症状が類似しており,薬物中毒の疑いを持ったが,なぜこのように一度に多数の患者が発生したのか,また,その原因となる薬物は何かの同定が未解決であったため,原因判明まで対症療法と応急処置を行った。
Copyright © 1995, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.