交見室
アメリカにおける皮膚科泌尿器科の蜜月時代,他
勝岡 洋治
1
1東海大学泌尿器科
pp.88-89
発行日 1989年1月20日
Published Date 1989/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413204915
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先日,当大学皮膚科の大城戸宗男教授より,1897(明治30)年発行のアメリカ版皮膚科泌尿器科学雑誌の創刊号(複刻版)をみせていただく機会があった。その折「大方の者は,日本における両科混在は時代が生んだ落とし子で,国際的にも説明困難な日本特有の医療界上の奇現象と理解しているようだが,これまでの伝聞を鵜呑みをしてたようで認識を改める必要がありそうだね」と話された。
「漂準泌尿器科学」(医学書院刊)の序説の項で,本邦における泌尿器科学概史を前東大教授新島端夫先生が記述されている。洋の東西を問わず世界中のほとんどの国々では泌尿器科学は外科の専門分野として独立しており,日本にのみ皮膚泌尿器科という奇妙な結びつぎが成立したのは明治20年代の事情によると説明されている。東大において教鞭をとっていたScriba博士のもとで外科学を学んでいた土肥慶蔵氏が,皮膚科学の勉学のため欧州留学を命ぜられ,5年後に帰国して1898(明治31)年皮膚科徽(梅)毒学教室主任を命ぜられ,教室の中に泌尿器科学教室を設けたことが皮膚科と泌尿器科のドッキングを生んだとされている。
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