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精神医学の歴史はいろいろな意味で表記両分野を中軸として綴られてきた。記述的心理学・現象学的な立場に立つ前者と自然科学を標榜する後者,つまり‘了解’と‘因果律’という異種の原理によって規定される二つの専門領域のせめぎ合い,時としてライバル,時として対立しながら,好みの違いこそあれ,それぞれに貢献してきたことは周知のところである。この種の両極的関係は,他の医学分野では類を見ず,精神医学独特と言ってよかろう。
この関係は今後も続くであろうが,その様相が最近になって少々変わりつつあるように思われる。その変化とは,他にもあるが一つには今や世界的と呼んでよいほどの広がりを見せている精神疾患の分類・診断基準の精細化への努力がある。DSM-Ⅲ,Ⅲ-R,Ⅳなど,ここ十数年ほどの問にアメリカ精神医学を中心として生じた大きな変革のうねり。従来軽視されがらであった臨床像の詳細な把握を大前提とする。WHOのIPSS(International Pilot Study of Schizophrenia)以降,これに触発された英米圏が,独仏,特にK.シュナイダーの精神病理の重要さを遅ればせながら認識しだしたのが推進力になっていることは周知のとおりである。20余年になる欧米専門誌の査読委員としての経験の中で,Psychopathology(PP)なる用語がとりわけ英語圏の論文の中に頻繁に見られるようになったのも最近の10余年で,ほぼ前記のことと符号している(もっとも,このPPは本邦や伝統的な意味での精神病理の意と比べて少々「浅い」ようで,臨床像とか精神症状と同義語に使われていることが多い)。互いに絡み合っているがもう一つ,この20年来のニューロサイエンス・バイオサイエンス,各種テクノロジー領域での急速な開発・進展という大きな事実がある。これら各種の文明の所産の恩恵に精神医学が浴するには,サンプリング,つまり検索対象の分類・整頓は当然のことながら決定的な意味を持つ。つまり,生物学的精神医学(Biological Psychiatry;BP)側は,PP側の精密な分類があって初めて,そこから検索を進めることができるのである。その逆,つまりBP側が検索を先にやってその後でPPが,というのは,将来はともかく,ここ当分はとうてい考えられない。BPはまだそこまで成長していない。世界の諸センターから報告されているおびただしい数の知見が,同じクライテリアを使い同じ技法を使ったとしながら,いまだに矛盾する結果に達していることが少なくない現状の少なくとも一因は,この分類・サンプリングの問題がまだ満足できる状態にないという現状に由来している。まだまだ改訂の余地があることは多くの人々の一致した見解でもあり,事実,改訂は続けられるようである。それにつけても,一貫して特定の古典的診断基準によった研究が,最新兵器による検索によっても安定した再現可能で有益な知見を報告している研究グループがいることは心強くもあり,「新しい」が少なくとも「精神医学」ではそのまま進歩につながらない一面のあることを教えてくれるように思う。その場合のクライテリアも,古典的にしろ十分なPPの解析の結果に基づいていることは言うまでもない。かくして,PP対BPなるライバルは,今やいつしか一種の蜜月に入っていることになる,否,蜜月に入らざるをえない状況にあると言うべきか。
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