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大東亜戦争がポツダム宣言受諾によってわが国の無条件降伏という惨憺たる敗戦に終わった昭和20年8月15日以降約5カ年を経た昭和25年5月14日から19日まで,アメリカ母性委員会The American Committee on Maternal Welfareの主催によりNew York (以下N.Y.と略)において国際第4回アメリカ産婦人科学会会議TheInternational and Fourth American Congress on Obstetrics and Gynecologyが開催された.それは私が東大教授に就任した昭和22年3月から僅か3カ年後のことで,国内学会は別として海外における国際学会出席など思いもよらぬ時期のことであったが,私は図らずも同委員会からの招請,日本学術会議の命および第2回日産婦学会会議の決議により,日本代麦として出席講演するの機会を与えられた。私は各界からの学者約20名と共に,当時わが国には未だ飛行機の便がなく,船便もなかったので,アメリカ軍用船S.S.Patrickに便乗渡米したのであるが,私の予め知り得たところによれば,私の講演には主要演説の一つとして25分間の長時間が字えられるなど,わが国が敗戦国としてなお占領下にあったにもかかわらず,いわば最恵国としての待遇を与えられたのであって,今更のごとく学問に国境無しの感を深うせしめられた次第であるが,これらはいずれも学会責任者としてのプログラム委員長のわが国に対する絶大な好意によるものに外ならなかったのであって,現に同委員長邸宅で催されたレセプションに,僅か数名に過ぎぬ外賓の1人として私が招待されたことも,その現れに外ならぬと言ってよいであろう。このプログラム委員長がすなわちこれから述べようとするコロンビヤ大学のHoward C.Taylor教授その人であったのである。
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