交見室
剖検の希少化を憂える
勝岡 洋治
1
1大阪医科大学
pp.266
発行日 2004年3月20日
Published Date 2004/3/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413100486
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昨今,学内で剖検実施の報告を聞かない。また,CPC開催の案内文も久しく受け取っていない。筆者の若い頃は遺族から剖検の承諾を得るのに相当の労力を費やした。先輩たちからは,「剖検が取れて医者として一人前だ」と叱咤激励されたものである。剖検の諾否は,患者さんの生前における信頼とその家族の絶大なる信用が得られているかどうかが試されることになるといわれた。
今でも病院で死期をむかえる患者さんは少なくないはずであり,死因もすべて解明されているとは限らない。近時,診断学が格段に進歩したとはいうものの,生前に病名が確定できないままに,あるいは治療中に思いがけず急死する症例にもしばしば遭遇する。その際,死因についてどのように説明しているのであろうか? その説明に遺族は十分に納得しているのであろうか? 事実確認のない説明には疑義を生み,不信感だけが残る。そして,医療訴訟に発展する要因にもなりかねない。剖検例の希少化の背景には,臨床医の怠慢と病理医の責任転嫁が存在していると思えてならない。剖検の意義を改めて論ずる必要はないと思われるが,「死体は真実を語る」とは至言であろう。必ず新事実の発見と現代医療の限界を再認識することになる。
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