視座
Defence medicineを憂える
井上 駿一
1
1千葉大学整形外科
pp.1157-1158
発行日 1979年12月25日
Published Date 1979/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1408906030
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私が整形外科教室へ入局したのは昭和33年4月であつた.当時は昭和28年,29年頃に次々と各医科大学に整形外科教室が開講せられ,その後数年を経た頃であるので気鋭の教授の方々が多く,脊椎カリエス,椎間板ヘルニアなどの手術が盛んに行われ各地で公開手術が行われたりして活気に満ちに時代であつた.医師と患者との関係もまだまだ信頼感のあつたよき時代でもあつた.
30年頃の私共の教室では椎間板ヘルニアの経腹膜的直達手術がlumbar anesthesiaで行われており,最近行つた遠隔調査の折当時の患者さんが「手術中痛いと叫んだところ執刀医に物凄く叱られました.でも当時は本当にこわい先生方ばかりでしたが実に熱心に診てくれました」と懐かしそうに述懐しておられた.私の恩師鈴木次郎教授はまことに峻厳な師匠であり手を抜いたいいかげんな治療は決して許されなかつた.百雷が落ちて「明日の朝までに反省,検討をして置く事」という事になり翌朝のmeetingのため徹宵で文献を調べあげカルテに反省点をこまごまと書き連ねた事もしばしばあつた.これが後になつて大変大事な資料となり後輩のための生きた教育材料として役立つた.しかし昨今のわが国の医療情勢は全く異なる.手術中の一寸した不用意な発言が医療訴訟の原因となつたりする.「カルテには一切感想は書かぬ事.事実そのものを書けばよいのであつてここをこうすればよかつたとかああすればよかつたとかの反省は一切禁忌である.客観的記載のみに止める事.必要あれば自分で備忘録をそなえて記入すべし.」と最近の新入医局員に対する教育はまことにきびしいものがある.
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