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Fitzpatrick教授の皮膚科学研究・教育・臨床活動とその基本的考え方
Fitzpatrick教授は,32歳にしてオレゴン大学医学部皮膚科主任教授として(米国最年少の教授)就任した(1952年より1958年までの6年間).その後1959年よりハーバード大学医学部皮膚科学講座の主任教授および名誉教授として現在も活躍中である.Fitz—patrick教授の研究の活動の主たるものは「メラニン形成/色素異常症/メラノーマ」であり,その研究の糸口を作ったのは1946年より2年間米国メリーランド州陸軍医学研究所生化学部門にて研究活動を始めたこと,およびその後,ポートランド州のオレゴン大学医学部での研究生活,さらには1958年より1年間米国オックスフォード大学ラデクリフ病院生化学部門に留学し,研究活動を行ったことに由来する.1949年にメラニン生成酵素であるチロシナーゼの生化学的研究をA.Lerner教授(元エール大学皮膚科学主任教授でFitzpatrick教授とはオレゴン大学当時教授,助教授としての同僚関係があった)と共著で,さらに久木田淳元東京大学皮膚科教授と毛髪サイクルとチロシナー活性の変動などを報告し,メラノジェネシスの研究における世界的リーダーとして活躍する糸口をつかんだ.しかし,ハーバード大学からの研究は,主として一年間故清寺眞,元東北大学皮膚科学教授とともに英国オックスフォード大学にて研究留学したときにメラノソームの単離に成功し,メラノソーム生合成機序を報告したことから始まる.
オレゴン大学医学部皮膚科学主任教授以来,久木田教授をはじめ多くの日本人がFitzpatrick教授のもとに留学したが,そのなかには皮膚科医のみならず内科医,生化学者,生物学者,病理学者など約40名近くと多数の人々がいた.このように多数の日本人研究者がFitzpatrick教授の門下生として日本のみならず世界の皮膚科学研究の発展に貢献された.さらに日本皮膚科学会の創設者である土肥慶蔵教授を記念する土肥記念交換講座の設立を日本皮膚科学会に提唱した.しかし,Fitzpatrick教授の門下生のうち研究活動に従事した弟子のなかで生粋の米国人はきわめて少ない.この点,同じような年齢でしかも,同時代に同じ研究を行ったLerner教授とはきわめて対照的である.Lerner教授には基礎研究を行っている門下生が多数おり,かなりの者が現在でも国際的な研究活動を行い活躍している.しかし,Fitzpatrick教授には臨床活動を主体とした米国人の弟子は多数おり,代表的な皮膚科医として現ハーバード大学皮膚科主任教授であるJ.Parrishおよび臨床部門でのチーフであるA.Sober教授などが挙げられる.
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