研究ノート・20
Friction melanosis
宮地 良樹
1
1天理よろづ相談所病院
pp.644
発行日 1991年8月1日
Published Date 1991/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1412900417
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前号では,cement burnの顛末を書いたが,私の場合,実際には,「見えども診れず」の場合の方がはるかに多い.現在,friction melanosisという病名になっている疾患を最初に経験したときがその典型だった.留学前であるから1981〜82年にかけてだったと思うが,若いやせ型の女性の背面や肋骨の走行に一致して,びまん性の褐色色素沈着をきたした症例を続けて2例経験した.自覚症状もないし,発疹も特異で戸惑ってしまった.1例目は生検を施行したが,メラノファージを認めるだけで,液状変性もなくアミロイドの沈着もみられなかった.内服薬や化粧品などとの関係を疑っていろいろ検索したが結局わからずじまいで,そのまま2年間の留学に出立したが,骨の走行に一致して配列する特異な色素沈着だけはいつまでも頭にこびりついていた.
1984年に帰国してみると,すでにこの病態は,谷垣や浅井らにより,ナイロンタオルによるfrictionmelanosisとして定着していた.その論文を読んだとき,あの頭から離れなかった症例の臨床像が鮮明に蘇り,足をすくわれた思いがした.実は自分も愛用していたナイロンタオルが原因だったとは…….あの当時は,光接触過敏症の実験でマウスの耳の腫ればかり測定していたので,どうしても免疫学的なメカニズムばかり考えてしまい,慢性の機械的刺激には,とても考えが及ぼなかった.患者さんを診たときに,その背景にあるライフスタイルをトータルに捉えることのできなかった自分を恥じた.それとともに臨床家たるには,耳の厚さを測るような実験ばかりでなくこういう研究もできなくては駄目だとつくづく思うようになった.
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