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研究に運はつきものだが,運のいい人は努力もしている,というのが私の持論である.留学当初,仕事ははかばかしくなく,揚句の果てに,3カ月かかったcloneがcontaminationをおこしてしまい,くさってしまった時期があった.そのとき,東大の内科から来ていた先生に,「私は1年間欠かさず飼育してきた高血圧ラットが,はじめて休んだクリスマスの晩に,空調の故障で死んでしまったことがある」といわれ,私の努力はまだまだだと思ったことがあった.アメリカでは効率のよい研究成果のみが尊重され,その過程は重要視されないと考えられがちだが,アメリカでも,真面目に努力することが求められ,人々もそれを正当に評価していると思う.ただその姿勢が日本より合理的なだけである.dataが出ないと悩んでいた日本人のpost-docに,ボスは「君の努力には敬服している」と言葉をかけていたし,めざましい業績をあげていた隣のラボの研究者が,夜11時になると−20℃の冬の夜道を細胞のharvestのために毎晩のように実験室に来ていたのも知っている.不合理な努力は無駄だと思うし,する必要もないが,若い研究者の中には,頑張りもせずに達観してしまったり,徒労に終わることを恐れるあまり,はじめから飛び込もうとしない人が多い.
私の友人のpost-docが帰国するときに,彼のボスの贈った言葉が,私は非常に印象に残っている.それは,“Hard works are not necessarily good works, how-ever, good works are always from hard works.”というものである.これを聞いたとき,アメリカでも頑張ることは美徳なのだなあと思った.研究環境が整えられ,試薬や器具は何でも手に入るようになっても,やはり,努力しなくては成果は出ない.アメリカでも,朝7時には出勤のための車の渋滞が始まり,8時半には,実験が始まるのである.洋の東西を問わず,研究にはいつの時代もsmartなhard workersが求められているし,それがgood worksとして結実するのだと思う.
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