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1982年から2年間,米国ミネソタ大学に留学した.留学先は,内科学教室リウマチ学部門だったので,皮膚科学と疎遠な2年間を過ごした.テーマは,強直性脊椎炎の発症とHLA-B27との関係を,HLA-B27subtypeにspecificなcytotoxic T cell cloneを作って調べようというもので,今までに一度も手がけたことのない実験系だった.卒業後1年間内科のレジデントを経験していたので,内科で仕事をすることには抵抗はなかったが,全く未知の実験領域にはいささか面食らった.しかし,自分から飛び込んだのだからと納得して,Ph.D.の人について一から習い始めた.当時はIL−2もヒトのspleen cellから自分で作る時代で苦労も多かった.しかし,いま総括してみると,なかなか得がたい経験だったと思う.それまでの皮膚科学の経験とは全く違う視点や発想で仕事をするわけで,新鮮な驚きの連続であったし,遺伝学や免疫学の基礎の先生とも知巳となった.今でも,この領域のことも少しは判るので,HLA-B 27の論文があるとついコピーして読むことも多い.2年もやれば,人は結構順応できるものだとこのときつくづく思った.皮膚科学の研究をする場合でも,一つの発想だけから突っ走ることも大切であろうが,ときに見方を変えてみるとか,一歩引き下がって全く違う考えをしてみることも意味があると思う.一見まわり道にみえる時間と労力かもしれないが,決して無駄ではない.要は「やる気」と「体力」である.内科学の進歩を数年遅れで皮膚科学に取り入れるだけでは無意味だが,他科領域と同時代の実験をし,ときに先んじることができれば刺激的な作業となる.
私は,2年後,以前と全く同じ活性酸素の研究領域に戻ったが,2年間離れていた分だけbehindでもあったがrefreshingでもあった.それからしばらくして一つのことにやっと気づいた.それは,リウマチ学の実験をやっていて何となく欲求不満になったのは,私が強直性脊椎炎の患者さんを一度も診たことがなかったからだということである.私のようなタイプの人間には,臨床を離れた実験は淋しい限りだったということかもしれない.
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