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Batemanが1821年に死去したのち,イギリスの皮膚科学界は,史上もつとも沈滞した時期をしばらく経過することになつた。それは,この学問において独創的業績をあげうる人物にきわめて乏しかつたからである。19世紀後半に至ると,ErasmusWilson, Tilbury Fox, JonathanHutchinsonなど,後世のわれわれ日本人にさえ名の聞こえている大家を輩出し,イギリス学派を世界に重からしめたのであるが,19世紀前半はまことに不毛の時代であつた。この中にあつてイギリス皮膚科学界のために,ひとり気を吐いたのはSamuel Plumbeであつた。もつとも,Plumbeを上記の諸大家に比較すると,業績において必ずしもこれを抜いているわけではない。しかし,国内に同僚もなく,単独でイギリス皮膚科学を推進せしめた功績は,特筆に価すると思われる。彼の偉大なのはこの点ばかりではなく,皮膚科学において近代的発展の方向を明瞭に打ち出したことである。彼以前のイギリス皮膚科学は,まつたく臨床の立場からのみ皮膚病を観察する学問であり,純粋の臨床皮膚科学と称すべきものであつた。しかるにPlumbeは,皮膚病の病理を理解するために,初めて解剖学と生理学とを皮膚科学の中に導入したのであつた。
Plumbeは,19世紀の前半において知らぬ人のないほど著名であつたにかかわらず,まことに奇妙なことには,その若い時代の記録はまつたく残つていないのである。どこの学校で医学の修学をおえ,どこで皮膚科学の修練を受けたかさえわかつていない。しかし彼が皮膚科学者として活動し,その名声を専門家の間に高からしめた著書を出版したことは動かす余地のない事実である。その著"Diseases of the Skin"が,当時において4版も重ねたことをみると,これがいかに宣伝され,普及したかわかる。実際にその書の第4版(1837)をみると,記述は簡潔であり,しかも実際的であり,それにもまして独創的であることがわかる。
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