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連載 皮膚科学に貢献した医学者たち・6
穿孔症
Malum perforans
高橋 吉定
pp.722-725
発行日 1973年8月1日
Published Date 1973/8/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1412201193
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1.初めて記載した学者
ネラトンの名は,わが国においてはネラトン・カテーテルがよく使われるので,医家一般の熟知するところである.しかし人の名であることはよくわかつていても,どんな人であるか,その人物についてはほとんど知る人がない.実は彼は外科医であつたのである.
Auguste Nélatonは1807年5月7日パリで生まれた.彼の父は軍医であつたが,ナポレオンのロシア遠征に従軍して戦死した.初期の教育を終了したのち,ネラトンはブルボン大学(Collège Bourbon)に入学し,主としてアシル・ルカン(AchilleRequin)の指導を受けた.ルカンはのちにパリ医界において有名になつた人である.ルカンは当時まだ医学生であつたが,その影響を受けてネラトンも医学の勉学に専念した.ネラトンの生涯の活動を特徴づけたと同じの,目的に対するまじめな,妥協を許さない着実さをももつて医学に自分自身を打ち込んだ.そしてまもなくわかつてきたことは,彼は生まれつき外科に対する才幹を持つていることであつた.当時の若い外科志望者の誰しもが将来の目標としていたのは偉大なジュピュイトラン(Dupuytren)であつたので,ネラトンもそのインターンになる申請を何回も行なつたが,許可がおりなかつた.1835年にやつとその希望がかなつたものの,彼が実際の教示を受ける前に,この偉大な師匠は死亡してしまつた.しかし1年後にネラトンは骨結核に関して"Sur l'affectiontuberculeuse des os"というドクトル論文を提出した.
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