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8月下旬にホノルルで開かれた太平洋皮膚科学会に出席したあと,アメリカとカナダの西海岸を訪ねて9月29日に帰国してみると,束日本連合地方会の印象記をかけと原稿紙が送つてきていた。何の連絡もない。これでは学生がゲバ棒をふるうのも当り前とふんがいして,数日を経たら編輯部からはじめて電話がかかつてきた。10月10日も近いので,ことわつては,かえつて迷惑と思つて,何となく引受けることにした。そうして,汽車の切符の都合にかかると,連休であつて,行楽客が紅葉の青森を訪ねるので,なかなか手に入らないとのことであつた。事実,そのために,弘前行きをあきらめた,東京の人々も少くないのではないかと考える。しかし,私は次の第34回を引受けさせられているので,何とか行かなければならない。今回の会長である弘前大学の帷子康雄教授といろいろ話したいこともあつて,9日の午前中に弘前についた。訪ねると,会場の弘前市の市民会館に行つておられるとのことであつた。そこは弘前城趾にあつた。松林にかこまれて,岩木山が前にみえる美しいところであつた,東京のスモッグのなかからきてみると,夢のような世界である。ちようど教室の人々が明日の準備にいろいろのプラカードを書いておられるところであつた。弘前大学も数週前に機動隊を入れて封鎖を解除したあとのことで万一のことも心配されるので,夕方に機動隊の人がきて,警備の必要があるときの打合せにくるので教授もそれをまつておられるとのことであつた。しかし,幸に何もなく2日間を運営することができた。といつでも学校紛争で出席できなかつた方々も少くなかつたようであつた。
そうして,私に思い出されるのは故杉山万喜蔵教授が開催された昭和28年の第17回東日本連合地方会である。このときは「シビ,ガツチヤキ症」のシンポジウムが行なわれて,私も演者の1人であつたが,この病気も今はほとんどないとのことであつた。事実演題でも横浜赤十字からペラグラの1例があるだけでこの地方からの報告はみられなかつた,16年間にこうも変つたかと思うが,それは病気ばかりではなかつた。その当時,夜には三味線がひびき,「がんなべ」の女性が右往左往していた大鰐の町も,静かな夜に変つていた。若い人々の失望をかつたのではないかと思つている。そうして,今度はじめて弘前に行つた若い人々に16年前の夜の賑やかさは話してもわからないものになつてしまつた。
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