- 有料閲覧
- 文献概要
女に生まれて随分長い時間を経験し,女にしかできない出産も経験したが,家庭内で女として過ごす時間はあまりない.残念ながら家には寝に帰るだけという状況は,医師という職業上,男も女もある程度強いられるわけで,家庭生活を円満に続けることは本当に難しいことなのだろうと思う.葛藤の中,20年間家庭生活を続けたが,妻という立場を社会的に捨てて医師として働きやすい条件を自ら作り上げた.爽やかに働いているつもりではあるが,「もう少し肩の力を抜きなさい」という温かい忠告を,素敵な男性医師たちからいただく.医師として働いている時間は自分が女であることを忘れてしまうが,女に見える程度の努力はしているので,初診の患者さんたちからは「女医だ~」という不信感あふれる思いが伝わってくることがある.若いときには自分のもっている限りの知識と情熱でそんな不信感を吹き飛ばし,信頼を勝ち取ることを心掛けていたが,最近は聞き上手になり,患者さんの意思を尊重するようになってきた.
そもそも男医という言葉はないのに女医といわれるのは,“医師は男”という概念があるからだろうと差別を感じているのは自分だけだろうか.能力のある素敵な女性たちが社会を支えているのを実感してはいるが,実際は多くの分野で,日本だけでなく男性中心社会のようである.肩肘張って生きていこうと思っているわけではないのに,つい肩に力が入ってしまうのは,自分の中の差別意識のせいかもしれない.愛する人は「どうして男と闘うのよ」とやさしく笑うが,毎日の診療に闘いは必要である.一方,子どもたちとは闘えずに白旗ばかりの駄目母で,彼らには母親よりも仕事優先で働かせてもらっている負い目がある.母としての時間を捨てるわけにはいかないのに,学校行事などまず参加不可能だし,後ろ姿ばかりを見せて教育が成功するほど現代社会は甘くない.仕事に魅力を感じると結婚をし損なう気持ちは十分わかるし,結婚したら家庭で夫と子どもの支えになり,ひいては社会の支えになる女としての生き方は,自分にはできなかったけれど大いに魅力的だから,教室員が望めば反対はしない.平和に穏やかに生きていきたいと思うけれど,他人に危害を与えないように,より魅力的に生きていくために自分に鞭打つ闘いならば良いことにしてもらおう.差別感をむしろエネルギーにして毎日必死に生きていると思うけれど,仕事と心と体の良いバランスを保つのは本当に難しい.
Copyright © 2009, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.