連載 水俣病から学ぶ・4
公害における差別の構造
原田 正純
1
1熊本学園大学社会福祉学部
pp.301-305
発行日 2003年4月1日
Published Date 2003/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401100851
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
水俣病が起こったから差別された
私が最初に水俣を訪れたのは,1960(昭和35)年のことであった.美しい海と空,それと対比的な悲惨な患者の姿,貧困.しかし,その悲惨な症状と貧困にも増して私がショックを受けたのは,患者たちへの差別であった.彼らは村の中で孤立させられて,隠れるように,雨戸を昼から閉めて,息を凝らして生きていた.
田中アサノさんは「親戚も兄弟も声をかけてくれる人もありません.家に居る子供はなおさらかわいそうなもんでした.家は役所から消毒に来るし,井戸水は検査に来るし,村八分にされる.店に買い物にはやってくれるなと,お金も手渡しに取ってくれないし,いよいよ家のもんは生きた気持ちはしていなかったのです.(略)避病院(伝染病隔離病棟)に移るのに誰一人恐ろしがって,A子を抱いて行ってくれる看護婦も居ませんでした」1)と.
Copyright © 2003, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.