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昭和35年,解剖学教室から広戸幾一郎先生の久留米大学耳鼻咽喉科学教室に入局させて戴き,喉頭の解剖研究に携わって以来,開業後も続けて40年近くになります。研究初期のことを振り返ってみますと,昭和38年の年の暮れのある寒い数日を,新入局員の先生お二人と病理標本室で,内臓を詰めたビニール袋500体分の中から喉頭を摘出して教室の大ガメ2つに保存し,そのつどMakroやMikroの標本としたこと,寒さとホルマリンの冷たさと臭気に涙したことが今では懐かしく思い出されます。またあるときは,市内の家畜屠殺場でウマ,ウシ,ブタ,ヒツジ,ヤギなどの喉頭を直後に摘出して頂き,同じく大ガメに保存して研究に供しましたが,このときは豚が逃げ出して,遁走という言葉を思い出し,その響きに何とも言えない哀れを覚えたのが昨日のことのようです。当時の研究目的は実体双眼顕微鏡下に哺乳類(サル,イヌ,ネコ,ウサギなど)を観察して,ヒト喉頭の神経支配,血管走行,披裂軟骨や輪状—披裂関節,さらに内喉頭筋などの特性を浮き彫りにすることでした。神経,血管については細部は別として動物差はあまりありませんが,披裂軟骨の形態差は内喉頭筋と同じように著明にみられました。そこで,これらの差はどこからくるのかという疑問解明のために,観察の対象を両生類(ウシガエル),爬虫類(スッポン),鳥類(白色レグホン)の喉頭に切り替えました。スッポンの頭部切断2時間後の実験では,ピンセットで触った途端,口を大きく開いて威嚇するのには,助手の看護婦さんとともにビックリしてその生の強さに驚かされたことを今でも忘れません。実験の結果,哺乳類の観察では見えてこなかったものが,見えてくるようなことを再三経験しました。あるいは,さらに疑問を深めることにもなりました。「すべてのみえるものは,みえないものにさわっている,きこえるものは,きこえないものにさわっている,感じられるものは,感じられないものにさわっている,おそらく,考えられるものは,考えられないものにさわっているだろう」(ノヴァーリス詩集より)。かくして,みえないものにひかれて今も,という日々です。
両生類,爬虫類,鳥類の3種観察動物の所見は,表1と図1に示しますように,系統的に近縁のために共通点が多くみられます。しかし,観察動物間のただ1つの異なる所見として,喉頭口の開放の方法の違いがあります。両生類,爬虫類ではドーム状開放,鳥類のみは前方水平開放です。これは鳥類が環境変化によって他の動物よりも活発な運動を要求されるため,より多くの酸素摂取が可能な水平開放を選択したと推測されます。さらに哺乳類,特にヒトの披裂軟骨の縮小化に伴う輪状—披裂関節の形成と開放の方法を考え合わせますと,これらの動物間の喉頭口の開放の方法の違いは,観察動物の進化の程度の違いを示唆しているようです。喉頭口の開放の方法にも合理的適応進化が存在するということになります。これは合目進化とさえ思えるほどです。その理由は,地球の偶然の砂漠化で,ヒトが直立歩行を獲得し,図2に示しますように,頭蓋底と脊椎の傾斜角(直角)の出現による,直立歩行に伴う必然的な喉頭の頸部下降のため,固体発生的に喉頭となる3ないし4個の鰓弓軟骨は上下の方向に,頭蓋底に直角な狭い頸部を下降しますので,合理的な分離型を示すことになり,後述の3種観察動物の場合の巨大披裂軟骨は,容易にヒトでは縮小され,その後の関節形成をスムーズにしたと推測されるからです。合目進化と思いたくなるような合理的進化を遂げます。また,3種観察動物では,喉頭は共通して3ないし4個の鰓弓軟骨と舌骨が,口腔底で前後に結合して傾斜角なしの水平位の集合型を示しますので,その披裂軟骨は喉頭腔一杯に巨大化を示しますが,これは偶然の環境変化(水生から陸生への)に伴う,原始喉頭Slitの呼吸口としての確保と拡大のためで,披裂軟骨の必然的合理的な適応と考えられます。つまり種別間の喉頭形態差は,ヒトにしろ,3種観察動物にしろ,それぞれ種特有の偶然の環境変化に応じた必然的合理性の追求の結果といえます。したがって,必然的合理性は,後述する現代進化学における適応進化を演出する自然淘汰を包括した言葉でもあります。しかし,従来はこの必然的合理性を機能面からのみみて,合目進化と考えてしまったようです。分子生物学者の長谷川真理子は,進化に関する環境と形態変化について,次のような明確な指摘をしています。すなわち,「従来から,自然淘汰は適応を生み出すように,“目的をもって働いている”という誤解があります。自然淘汰が働く大前提は,生き物の間に遺伝的な変異があることです。その中のあるものが,他のものよりも環境に適しているとなると,自然淘汰が働きます。変異は環境とは無関係に生じます。変異はランダムに無方向に生じます。つまり遺伝子の中に生じていた変異が,たまたまある環境に住むことで有利となり,自然淘汰によって広まることになったのです。自然淘汰の結果として適応が起こると,あたかもそのような素晴らしい適応を起こすように,目的をもって淘汰が働いたように見えますが,それはあとから見るとそう見えるだけで,自然淘汰の材料となる変異は,目的などとは関係なく生じます」と述べ,遺伝子と環境の密接な関係の中で,自然淘汰は必然的合理的に適応進化を発現し,決して機能合目的な適応進化は非進化学的で存在しないと否定されています。
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