ぷりずむ
あと始末
園田 真人
1
1福岡県粕屋保健所
pp.214
発行日 1987年3月15日
Published Date 1987/3/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401207442
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衆議員,参議員同時選挙が終わってから半年になるというのに,色あせた候補者のポスターが電柱に残っている.とくに,落選した候補のポスターが多い傾向があるのは「あとは野となれ山となれ」という日本の諺があるように,自分の行為に対する責任を放棄して,どのようになっても気にしないという,日本民族の特性が表れている.そして,試合が終わったあとの観覧席のゴミは散乱しており,公衆便所の汚れかたをみても,乱雑きわまりない場所が多くみられることなど,あと始末をするという習性が欠如しているのではないかといわれても仕方がない.
電柱に残っている色あせた候補者のポスターをみると,昭和60年1月,心筋梗塞のため62歳で亡くなられた田中六助さん(自由民主党幹事長)が初めて立候補したときのことを思いだす.六さん(北九州の人たちは今でもこの愛称で呼んでいる)は,昭和35年の衆議院選挙に立候補したが7位で落選した.ほとんどの落選候補があとは野となれになりやすいのだが,私は,支持者の家を一軒ずつ,「お世話になりました,有り難うございました」といって回られた六さんの爽やかな姿を記憶している.それから3年後の選挙で当選し,数々の要職につかれ,めざましい活躍を続けられ将来が期待されたのだが,政治家としてはこれからという時に惜しくも亡くなられた.
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