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I.はじめに
ここ10年間におけるウイルス学の進展には目覚しいものがある。その成果の最大のものに人類の科学史上不滅の業績ともいうべきWHOによる天然痘の根絶宣言(1980年)がある。しかし人類は休む間もなくつぎなる難敵に挑戦され悪戦苦闘している。しかし難敵に対する努力は現代バイオテクノロジー応用の飛躍的進歩を生み,その成果はウイルス感染症に対する予防,治療,診断における方法論において大きな貢献をしてきた。現在までのその進歩の軌跡を要約すると,①分子生物学の進歩は主な病原性ウイルス核酸の全塩基配列を明らかにし,ウイルスの病原性発揮のために必要な遺伝子の解析,さらにその機能を発揮する蛋白のアミノ酸組成が明らかにされ,遺伝子組換えによるウイルスワクチンの大量生産が可能となった。②つぎにそれらの成果を用いて,ウイルス感染細胞,感染組織中のウイルスの局在を探ることができるようになった。従来の螢光抗体法によるウイルス感染細胞中のウイルス蛋白の検出に加え,ウィルスmRNA,ウイルス核酸の検出がin situhybridizationによって可能となった。またdothybridizationによって唾液中,血清中のウイルス核酸の検出も可能になった。③これまで原因ウイルスが同定されていなかったウイルス感染症の原因が明らかにされた。たとえば伝染性紅斑のパルボウイルス,成人T細胞白血病(ATL)のヒトレトロウイルス,後天性免疫不全症候群(AIDS)のレンチウイルスが耳新しいところである。④ヒトB型肝炎ウイルス(HBV)は未分類ウイルスに属されていたが,ヒトHBVにウッドチャク(WHV),アヒル(DHBV),リス(GSHV)の肝炎ウイルスが加わり,hepadnaヘパドナウイルスとしてDNAウイルスの一員に加えられた。一方A型肝炎ウイルスの核酸はRNAで,新しいエンテロウイルス72としてピコルナウイルスに加えられた。以前にC型肝炎といわれた非A非B型肝炎ウイルスも近い将来同定されるであろう。さらに劇症肝炎と密接な関係がありそうなD型ウィルス(HDV)のエンベロープ蛋白はHBV由来で,中の核酸は新たなRNAよりなるヘルパーウイルスとしての性格を有していることも明らかとなった。⑤ウイルス粒子の主な構成成分である核酸,蛋白が,それぞれ単独で感染性を有することは想像上の問題であったが,それが現実となってきた。ある種の植物病の原因として,核酸のみよりなるウイロイド(viroid)の研究が進んでいる。ヒト原因不明疾患の原因としての可能性も追究されたが,現在のところ否定されている。一方蛋白質のみよりなる感染物質が羊のスクレピーそしてヒトのKuru,Creutzfeldt-Jacob病(CJD)に共通して検出されている。それをプリオン(prion)と称し,身近にはアルツハイマー病の原因としての可能性も追究されている。⑥腫瘍ウイルスの研究に端を発し,細胞遺伝子中の腫瘍遺伝子の研究が最盛期を迎えているが,これに関しては別に述べられるであろう。⑦一方宿主側の研究も急速な展開を示している。感染防御機構には特異的免疫現象以外に,否それ以上に初感染の結果を左右する要素として非特異的機構が浮上してきた。非特異的機構も細胞性因子(マクロファージ,NK細胞)と液性因子(サイトカイン,補体)よりなり,それぞれ分子レベルでの解明が進み,従来の不明部分を明確にしつつある。⑧特異的免疫学の領域ではT細胞の抗原レセプターの解析が進み,抗原認識のさいヘルパーT細胞は組織適合抗原群(MHC)クラスII抗原を,サプレッサーT細胞はMHCクラスI抗原を,ウイルス抗原との複合体として認識する。その結果非特異的に多機能的に種々の組織へ作用するリンホカインが産生される。⑨B細胞よりの抗体産生の謎も分子生物学的に明らかにされた。ウイルス学の領域ではハイブリドーマを用いた単クローン抗体の作製が全盛をきわめ,分子生物学的手法とともにウイルス抗原エピトープの解析が行われている。中和抗体結合エピトープの解析から合成ワクチンの可能性への道が開けた。さらにウイルス感染によって産生されるサイトカインに対する単クローン抗体も作製され,生体防御機構におけるサイトカインの意義についても明らかにされつつある。⑩生体の恒常性維持のためには神経系—内分泌系—生体防御系の間に密接な相互作用が存在していることが明らかにされつつある。これからの大きな課題であろう。
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