連載 あのころ あのとき・8
課程博士の学位論文作成のころ,そしていま
馬嶋 昭生
1
1名古屋市立大学
pp.1502-1505
発行日 2001年8月15日
Published Date 2001/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410907457
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はじめに
わが国の眼科学の進歩と眼科医の英語を中心とした語学力の向上により,欧文の一流誌に掲載される論文が多くようになったのは喜ばしいことであり,医学を含めたすべての学問の分野で共通した現象であろう。一方,日眼総会や日本臨床眼科学会などの抄録集は,演題数の増加で携帯に難渋するほど厚く,読み難いほど小さな文字になったにもかかわらず,機関誌の日眼会誌をはじめ主要邦文誌への投稿論文の減少が指摘されてから久しい。その主な原因は,impact factorの高い一流欧文誌への投稿とされているが,筆者は,その他の大きな原因が見逃されていると思う。
第二次世界大戦により後退した日本の眼科学を世界の水準に引き上げるため,欧米に留学して大変な努力をされたわれわれの先輩の功績は非常に大きなものであった。それに続いた年代の筆者らも,なお日本が低開発国といわれ,眼科医が極端に少なかった時代に,海外で学び,わが国の眼科学の進歩に貢献したと自負している。新しい世紀を迎えた今,過去を振り返り,現状を冷静に眺めてみたい。
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