連載 あのころ あのとき・14
学位論文作成のころ
福田 雅俊
1
1琉球大学
pp.122-124
発行日 2002年2月15日
Published Date 2002/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410907603
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私たちの時代には,大学院へ行かずとも学位をとることが可能であった。これはと思う教授の主宰する教室に席を置き,その教授の指定した研究テーマについて実験,研究を進め,その成果を学会誌に発表し,教授が学位に相応しいと判断する程度まで成果が蓄積されたとき,教授の指示で一括した論文集としてその大学の学位論文審査委員会に提出し,合格すれば晴れて医学博士の学位が授与された。研究期間は3〜6年くらいで,一応の資格試験のように考え,その後の経済的な事情もあって取り急ぐ傾向があった。
私は萩原朗教授の主宰する母校東大の眼科学教室の医局に入局して4年目,医局長などになり,眼科臨床がおもしろくなったところで,「もういい加減に研究を始めたまえ」と教授に叱られ,東京逓信病院の眼科に出向のかたわら東大眼科研究員として研究生活に入った(1954年3月)。
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