オキュラーサーフェスと私
オキュラーサーフェスについて思うこと
三島 済一
1,2
1東京大学
2東京厚生年金病院
pp.33
発行日 1997年10月20日
Published Date 1997/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410905592
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最近はオキュラーサーフェスという言葉が特別な意味を持って用いられ,新しい研究方法で細かく研究されるようになった。まことに今昔の感に堪えないものがある。ここでは少し昔話を述べて,若い研究者のためになればと思う次第である。
私は昭和34(1959)年,当時の東京医科歯科大学の大塚任教授の勧めで英国に留学することになり,Sir Stuart Duke-ElderのロンドンのInstitute of Ophthalmologyに行くことになった。この研究所にDr.D.M.Mauriceがいて,私の指導をしてくれることになった。以来,彼とは30数年にわたり深い子弟・交友関係にある。Maurice先生は手紙を寄こし,私がロンドンに着いたら,fluorophotometerを使って角膜の透過性や,前房水の循環を研究したいといって来た。そのつもりでロンドンに着くと,器械はまだ出来てなく,その上英国では動物実験をするのに,内務省から動物ごとの許可証をもらわないと実験が出来ず,許可が出るまでに2〜3か月かかるというのである。こんなに長い間,遊んでいるわけにはいかないので,何かをしなければならなくなった。
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