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シュルツェ眼病論(仮称)
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斉藤 仁男
1
1研医会
pp.1198-1199
発行日 1988年10月15日
Published Date 1988/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410210535
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明治7年(1874)5月に第一大学区医学校が東京医学校(東京大学医学部の前身)と改称され,その12月にシュルツェ(Emil August Wilhelm Sehultze)が同校の外科教師として就任した.
シュルツェは1840年にベルリンに生れ,ベルリン陸軍軍医学校を1863年に卒業し,ドクトルとなる.1870年から1871年に陸軍一等軍医として普仏戦争に従軍,1871年から1872年に英国およびオランダに留学し,特にリスターに就いて防腐法を学び,1872年ベルリンに戻り,シャリテ病院,パルテレーベンの第一助手となり,軍医のエリートコースを順調に歩んだ.1874年東京医学校の外科系教師となる.1877年(11月?)一旦帰国したが,翌年7月より1881年(明治14)6月まで再雇傭となった.1881年帰国して二等軍医正に進み,ステッチンの歩兵第二連隊附軍医を命ぜられた.1883年軍を辞し,ステッチン市立病院長となる.1900年フライブルグに隠退した.その後,一時当地の陸軍病院に勤めた(1914〜1918)が1924年フライブルグで肺炎のため死去した.
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