文庫の窓から
眼科龍木論(1)
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斉藤 仁男
1
1研医会
pp.1196-1197
発行日 1987年10月15日
Published Date 1987/10/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410210200
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『我邦ノ中古ノ眼科ハ純然タル唐宋ノ眼科若クハ之ヲ用フルニ方リテ少シク取捨刪削ヲ加ヘタル唐宋眼科ニ外ナラザルナリ』(富士川游博士)といわれているように,日本の眼科は中国(唐宋代)の眼科の強い影響を受けて発達してきた.また,中国は唐代より宋元代におよんでインドとの交通が漸く盛んとなり,仏教とともにインドの眼科は中国に入り,その眼科の面目を一新した(小川剣三郎博士)といわれ,日本の眼科もまたインドの眼科の間接的影響を受けて発展してきたといえる.
とくに中国,明・清代に刊行された中国眼科専門書は日本にも輸入されたと思われるが,銀海精微(孫思邈著),眼科全書(哀学淵著),玄機啓微附録(薛巳著),一草亭目科全書(鄧苑撰)等はわが国においても刊行され,いわゆる和刻本として広く流布した眼科専門書である.「眼科龍木論」は明版あるいは明未清初版の他,多数の写本が伝えられ,その広く用いられたことが窺えるが,手許の図書目録によるだけでもその収録された龍木論の書名には次の様なものがある.
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