文庫の窓から
治翳新法
中泉 行信
1
,
中泉 行史
1
,
斎藤 仁男
1
1研医会
pp.92-93
発行日 1987年1月15日
Published Date 1987/1/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410209933
- 有料閲覧
- 文献概要
『擠下術ハ既ニ二千年来眼科ノ内翳ヲ治スル術トシテ世ニ久シク称用ス.而後千八百年代ノ半ニ至リ*達非爾ナル者一術ヲ創シテコレヲ剔出法ト名ツク.コレヨリ擠下ヲ古法ト称シ,剔出ヲ新法トシ互ニ其功ヲ競イ,各互ニ之ヲ主張シ其器具ト用法ヲ益々修正シ各精功ヲ盡セリ云々』(「註」仏国名医達非爾:Jacques Daviel)
これは「治翳新法」の冒頭に述べられた訳文の一節であるが,これによるとヨーロッパにおいては2000年来称用された内翳術の擠下法に代わって新内翳術の摘出法がはじめられたのは19世紀半のことで,ようやく進歩への第一歩が踏み出された感がする.わが国では漢方医家が古くから中国伝来の銀鍼による"そこひ"治療が行われてきたが,近代医学としての白内障手術が実際に行われるようになったのは,シーボルト等外人医師に直接の医術指導を受けるようになってからのことで,それまでは何れも秘伝秘法のベールに包まれた中国医術の模倣で,さして進歩もなかった.幕末に至ってオランダ医学の伝来とともに,各種の講義筆記やオランダ医学書の翻訳が盛んに行われるようになった.
Copyright © 1987, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.