銀海余滴
国際眼科学会を迎えるために
進藤 晋一
pp.682
発行日 1970年5月15日
Published Date 1970/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410204300
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日本で国際眼科学会が開かれる機運が熟しつつある。大いに結構なことで,日本の眼科の水準を世界に紹介し,その実力を正しく評価してもらうべきであろう。これに関連して,日常感じていることを少し書く。
数年さきのことであるし,日常身辺の用品などでも,どんどん改良されていく速度の早い時代であるから,現在の私の考えが一つの笑い話となれば幸いであるが,とにかく,現在の時点の話しとして述べたい。同時通訳その他,関係される当事者は,用意万端を整えるにちがいないが,なお残るのは言葉の障壁であろう。日本の学者は研究に明けくれるので,英語会話の練習などに割く時間はないし,少数のたんのうな学者を除いては英会話のできないのが現状である。「学術書は読めても,会話はできない」いというのが通常である。これは少しも恥じる必要はない。しかし,実力のある,活躍してほしい学者がダンマリで,「英会話ができる」そのことだけで,どうかと思うようなひとたちのひとり舞台にしたりすることは迷惑千万なことである。
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