Japanese
English
談話室
医学と言葉の問題
The Future of Japanese as Medical Language
弓削 経一
1
Tsunekazu Yuge
1
1京都府立医科大学眼科
1Department of Ophthalmology, Kyoto Prefectural Univ. of Med.
pp.925-927
発行日 1966年6月15日
Published Date 1966/6/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410203464
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どんなによい研究ができあがつても,それは発表せられなければ有効ではない。研究の発表には,言葉が必要である。したがつて,研究と,それを発表する言葉とは,おなじ程度に重要である。一般に,研究者は,研究には熱心であるが,言葉の問題には,ひどく無関心である。今,われわれは,日本の医学がこれから先,日本語でおしとおせるかどうかという問題に直面しているはずである。われわれは,医学と言葉の問題に,研究に対すると同様の関心をはらわねばならない。これは,もちろん,日本の文化と言葉という問題の1部ではあるが,われわれとしては,医学と言葉,あるいは,眼科学と言葉の範囲で考えてゆくのが,分相応という所であろう。
医学の中に,言葉の問題を考えねばならない理由は,つぎの2点にある。
The present situation and future possibili-ties are discussed over the problem of the use of Japanese language as a means of exp-ression in medicine. It is recommended that the use of Japanese alphabet (katakana) be more widely adopted in preference to the Chinese characters (kanji).
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