巻頭言
精神医学と言葉
武正 建一
1
1杏林大学医学部精神神経科学教室
pp.1150-1151
発行日 1982年11月15日
Published Date 1982/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1405203489
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私事になるが,医学部を卒業してから自分の進む道として精神医学を選ぶ際に相当の語学力が必要であるように思われ,語学が得手でない自分がこの事に関して少し躊躇した記憶がある。どうせ不得手ならばと独学でフランス語にまで手をのばしてみたが,これもあまりほめられるようなものとはならなかった。英語が主流となった現在,他の医学の分野ではそれほどドイツ語やフランス語の力を必要としなくなったようであるが,こと精神医学となるとあい変らずそうも言ってはおれない。しかし私の感ずるところでは,どうも英語以外の外国語の力となると年代が若くなるにしたがって(私達も含めて)低下してきているようである。
精神医学という,人の心を把えその記述をする学問領域にはどの国の言葉がより適しているのだろうかと考えたことがある。日本人であるから日本語はさておくとして,そのことについて少し昔の事になるがフランス留学中まだ存命であったGuiraud, P. にたずねてみたことがある(これについては,生命の科学,第16回月報《現代精神医学大系,中山書店》の中で少しふれたことがある)。Guiraudに言わせると,「自分はフランス人だから当然フランス語なのだが,やや響きは重いがドイツ語の方が精神現象の記述には用語も豊富でより適切ではないかと思う」ということであった。フランスの小説はまるで心理学の教科書を読んでいるようだと評した,これも当時訪れたバーゼル大学での教室員の言葉が思い出されるが,それでもやはりファーブルの昆虫記に代表されるような意味でのこまかな描写力であって,それがまたあの19世紀に開花したフランス精神医学の特徴でもあるのだろうかと考えたりもした。
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