ルポルタージユ 現地ルポ
水害と防疫—小倉市を中心に
毛利 広
1
1現在:九州経済調査協会
pp.37-41
発行日 1953年8月15日
Published Date 1953/8/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201254
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
水害があつてからもう2週間が過ぎた。浸水の激しかつたところを歩いてみると,まだ浸水家屋の軒の前には,はき出された泥土や泥水につかつた腐つた畳や,こわれた家具が,散乱と積重なつて山をなしている。なんとも形容のしにくい惡臭が街路に満ちている。罹災者は疲れ果てた表情で,ものうさそうに今日も泥を運び出している。水は驚くべき沢山の泥を街にも家にも運んで来た。水が退いてみると,道路も庭も家の中も泥でいつぱいであつた。おそろしくきめの細かい泥は,どんなところにも入り込んでいた。机の抽出も箪笥の抽出も水と泥のために未だにあかない。抽出を壊わして,中の物を見ると全部泥に浸つている。どうにもしようのない泥である。復旧作業は1日も休みなく続けられているのであるが,市民の家から運び出されるこの泥の山は未だにかたづかない。水害前の清潔な町になるのは何時のことであろうか。総人口22万のうち被災者79,564名,死者確認12名,行方不名8名,総世帯数49,147のうち家屋全壊30戸,同流失14戸,同損壊109戸,床上浸水15,000戸の被害と言われる福岡県小倉市の場合,水害の翌日から馬車11台,トラツク8台を動員して1日約162トンの泥を運び出し,現在までに2,268トンの泥土を処理したが,まだ被害地の泥の3分の1にも達しない状態である。これに被害各会社,工場が自家の自動車などで処理した泥土を合算すると莫大な泥である。
Copyright © 1953, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.