臨床實驗
輻輳衰弱
小口 武久
1
1桐生厚生病院
pp.315
発行日 1951年5月15日
Published Date 1951/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410200849
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調節衰弱では眼を一定時間休息させた後には調節力が健常に近ずき近點が眼に近接するけれども,檢査を反復して疲勞させると,近點が次第に遠ざかつて行く。之と同樣に輻輳機が疲勞し易く,輻輳近點が計測毎に次第に遠ざかつて行く樣な場合がある。須田(經)教授は昭和11年日眼總會の時,筋性眼精疲勞の38名中15名(39.8%)に此の樣な例を認められ,之を輻輳衰弱という名を以て呼ばれた。其の後中島教授が其の存在を確認されて,3例を眼臨第42巻第5號昭和23年に記載されている。私は内科に於て脚氣と診斷された患者に本症を合併した例を經驗したので記述してみたい。
症例Ⅰ.2週間前から近業時に眼精疲勞を訴える21才の男子,役場の吏員,視力左右1.2矯正不能,屈折状態正視,輻輳近點は最初30cmであるが計測毎に4-6cm遠ざかって行く。調節近點は左右共最初9cmであるが計測毎に約1cm宛遠ざかる。眼位は正常で遮蔽法で定位運動は起らない。マドツクス試驗(5m)右同側1度,左同側0.5度,視野,色神共に正常である。其の他眼科的に特記すべき事がない。内科では定型的な脚氣と診斷された。血清梅毒反應は陰性,マントー氏反應は弱陽性である。
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