〔Ⅰ〕東京眼科講習會講演録
眼科領域に於ける開頭術(上)
桑原 安治
1
1慶大眼科
pp.1-7
発行日 1947年4月20日
Published Date 1947/4/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410200167
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吾々眼科臨牀に携る者の常に感する事は眼科の診斷が他の科の診斷に比較して正確度が高いと云ふ事である。之れは要するに病竃を直接觀察し得る事に起因しておる。所が眼の重要なる組織の一である視神經は僅に乳頭を檢眼鏡を以つて觀察し得るに過ぎず其の大部分は頭蓋内に在つて吾人が之れを觀察する事は不可能である。從つて視神經疾患に於ては原因本態の不明なる場合が少くなく特に單性混神經萎縮症に於て此の感が深い。
從來視神經疾患の研究は臨牀的研究と相俟つて病理組織學的研究が旺んに行はれ,疾患の本態を闡明せんと不撓なる努力が拂はれたに拘らず,其の材料が屍體より得られる以上,病期は既に末期に屬する事多く,二次的續發的變化に富みて,疾患の本態を把握する事は仲々困難な状態である。試みに一例を擧れば吾人の日常屡々遭遇する彼の脊髓癆性視神經萎縮症に於ても古くより臨牀的竝に病理組織學的に詳細且つ廣汎に亘り研究せられたるに拘らず,今尚視神經萎縮の成立に關して諸説對立して歸一しない如き,此間の事情を如實に物語るものである。以上の如き原因,本態の明確ならざる事が多い場合,療法は單に對症療法に止まり適切なる治療は望み得べくもなく,時には拱手して失明に至る經過を觀察するに過ぎぬ場合もあり,時には乳頭の蒼白となれるの故を以つて患者に悲慘なる宣告を下さざるを得ない場合もあり視神經疾患に關する吾人の知見は極めて貧弱なるを痛感するのである。
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