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はじめに
Vogt-小柳-原田病(原田病)は,サルコイドーシス,Behçet病とともにわが国のぶどう膜炎の三大疾患の1つである1)。
本病はメラノサイトに対する自己免疫疾患と考えられ,日本をはじめ環太平洋地域のモンゴロイドに多く,ヨーロッパではサルディニア島出身者に多発する2)。頭痛などの前駆症状や自然軽快例があり,眼外傷の有無以外は交感性眼炎と病態は同一である3)。
歴史的には,1906年にAlfred Vogt(スイス・バーゼル大学,のちにチューリッヒ大学:図1)が“Klin Mbl Augenheilk”誌に報告した,両眼の急激な漿液性網膜剝離と睫毛白変・白髪を起こした18歳の男性症例が最初と考えられている4)。この時点では虹彩毛様体炎と睫毛白変(図2)は偶然合併した可能性が高いと考えていた。
1914年,小柳美三(東北大学)は『日本眼科学会雑誌』にぶどう膜炎を伴う毛髪脱落,難聴の症例を報告し,今日「夕焼け状眼底」と表される特徴的な眼底を「眼底ハ夕照ノ天空ヲ観ルガ如シ」と記している。その後症例を追加して,1929年にぶどう膜炎,難聴,脱毛,白毛をきたした4症例を国際誌に報告した5)。その中で,交感性眼炎との類似性や両者の病理組織が酷似していることから,ぶどう膜の色素組織を好む病原体による疾患ではないかと考察している。また,小柳がVogtの論文を再評価したことから,のちに本疾患はVogt-小柳症候群と呼ばれるようになった。
一方,これとは別に原田永之助(東京大学,のちに長崎で開業)は1922年,東京眼科集談会で両眼の網膜剝離を伴う急性脈絡膜炎の1例を報告した。原著は1926年,『日本眼科会雑誌』30巻4号に症例を追加して報告されている6)。その後も同様の症例報告が相次ぎ,これらは原田病と呼ばれた。
こうして一時Vogt-小柳病(症候群)と原田病が並立することになったが,症例報告が蓄積されるにしたがって両疾患の境界は不鮮明になり,今日では両者は本質的に同一疾患と考えられるに至り,「Vogt-小柳-原田病(または症候群)」の呼称で統一されている7)。
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