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はじめに
遺伝カウンセリングの方法や技術を学習する前に,まずカウンセリングについての一般的な理解を深めていただきたい。カウンセリングの目的について考えてみよう。
もともとカウンセリングは精神医療の一領域として誕生した。何度か映画化されたブラムストーカーの「ドラキュラ」の場面から,19世紀後半の精神医療の姿が想像できる。当時は細胞学など近代的な科学が芽生えて発達しつつあった時代で,精神病についても多くの研究が行われ,治療が試みられた時代であった。しかし人間の精神領域を対象とするこの分野は,治療といってもその多くはとても科学といえるものではなかった。このような時代にフロイト(S. Freud, 1856~1939)の精神分析が登場して初めて精神医学は近代医学の仲間入りをしたともいえよう。精神分析は患者の自己を解体して再構成させるという外科治療に匹敵するもので,訓練された精神科医が担当すべきものとされた。このようなときに心理学者であるロジャース(Carl R. Rogers, 1902~1987)は新しい自己理論(次回に取り上げる予定)を唱え,カウンセリングという技法を提唱した。おそらくは多くの統合失調症や重症の気分障害には効果がなかったであろうが,軽いうつ的な状態やノイローゼと呼ばれた神経症には効果的であった。しかもカウンセリングは精神分析と違って,精神医学に通暁した医師でなくても実施が可能であった。このように最初は精神治療がカウンセリングの主な目的であったのである。
しかし,新しく登場した薬物療法が精神医療に導入されてからは,精神病治療としてのカウンセリングの役割は薄れ,カウンセリングは心理学者たちによって,独自の地位を築いていった。厳密には心理カウンセリングと呼ばれ,第二次世界大戦後のアメリカを中心に全盛時代を迎え,次々に新しい理論や技法が開発された。カウンセリングの理論は精神医療の延長上ともいえる心理臨床の現場や教育の現場,はては商業活動まで応用されている。
遺伝カウンセリングがわが国に導入された当時は情報提供や人類遺伝学の理論を応用した分析が中心で,人類遺伝学の研究者や医師により行われたため「遺伝相談」と呼ばれた。しかし,遺伝相談は教育的な介入を行う機会が多く,クライエントの自律的な意思決定を援助したり,本稿で取り上げる好ましい行動変容をめざす行為は単なる相談業務というよりカウンセリングに近い技術であり,専門的なトレーニングを積んだ医師や専門職のカウンセラーが担当するようになってからは「遺伝カウンセリング」と呼ばれるようになった(コラム)。
遺伝カウンセリングは決して心理カウンセリングの一領域ではないが,カウンセリングの技法を利用したり,心理カウンセリングの理論から学ぶところが少なくない。コラムで紹介したように遺伝カウンセリング技術を学ぶためにはまず理論から勉強するのが近道と考えている。
さて,心理療法に近い理論まで含めると,現在はおそらく50を超えるカウンセリングの理論が現場で活用されている。遺伝カウンセラーはいろいろな理論や技術を応用して日常の「カウンセリング」に対応しているが,遺伝カウンセラーを養成する立場からは,私はまずロジャースの理論を教育している。ロジャースの理論は心理専門職でない医療従事者が医療現場で用いやすいことと,カウンセラーの基本的態度を学ぶのに適しているという特徴がある。具体的なロジャースの理論やカウンセリング技術を紹介するのは次回以降に回して,今回は遺伝学的な問題を抱えたクライエントの心理特性を把握(アセスメント)し,どのような行動変容にもっていくべきかという「カウンセリングを行う前段階の準備」に必要な理論を紹介したい。
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