随想
教授生活23年余
南 武
1
1東京慈恵医大
pp.80-81
発行日 1976年1月20日
Published Date 1976/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413202100
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満65歳となり昨年3月末で教授職から退いた。やめるまでに片付けておかねばならないこともわかつていた。ところが昨年末まで付属病院長を二期4年間もやつていたし,他の用事もあり,あと片付けもほとんどできないままに終わつてしまつた。したがつて2月14日の最終講義のための準備も思うようにはならなかつた。研究生活を主にした思い出を話したわけであるが,そのうちの主なるものの骨子を書いてみよう。
教授になつた時のことを述べておくと,外科の助教授で5年間青戸分院にいたが,泌尿器科の医長の田那村浩君(私と同期)は診断はしたが病身のため手術は全部私がやつていた。しかし,私自身の泌尿器科学的知識は学生時代に得たもの以上には何歩も出ていなかつた。ところが昭和26年1月渡辺一郎教授が亡くなつたので,私に後任になるようにという薦めが間もなく持ちあがつた。外科への興味の方が大きかつたし,泌尿器科学の自信もなかつたのでおことわりした。当時の樋口院長から時をおいて3回も薦められた。ところがその年の暮になつて病理の教授だつた同期の故高木文一君から話があり,引き受けようかという気になつた。半年でも良いから東大に勉強に行きたいと申し出たが駄目だといわれた。外国にやつて欲しいという願いもまた斥けられた。やむなく他日を期してひとまず引き受けることになつた。当時菅田 茂という講師が残つていたので,この人を頼りにまず診療を始めた。
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