特集 思い出・追悼論文
想い出
淸水博士を憶う
荻野 久作
1
1竹山病院
pp.441-442
発行日 1954年8月10日
Published Date 1954/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409201066
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清水博士には昨年新潟に於ける婦人科学会で御目にかかり御病気の様子も気付かずに居りましたところ,3月22日御永眠の御知らせを受けて誠に心細く悲しく思つて居ります。
私が明治42年東大婦人科に入局した頃博士は既に医局に居られたのか或はその頃は医化学の教室に研究して居られたのかとも思つて居りますが,博士が婦人科教室に医化学研究室を新設して貰つて,そこの主任になられたのは私の在局時代と記憶して居ります。又,私は博士のネーベンとして入院患者を受持つた記憶もあります。今は,輸血も静注も日常の処置として誰でも平気で行つて居りますが,あの頃は静脈から採血することも稀で,その頃の新しき診断法としてワ氏反応を見る時くらいに採血するのみであつたように思つて居ります。博士と一緒に病室を受け持った頃18,9歳の娘さんで骨盤内に硬結があつて何病か診断が付かず永く入院して居た患者がありましたが受付交代期が来て博士と一緒にその患者を引き受けましたが,一つワ氏反応をみようじやないかと云う訳で,博士が肘静脈に針を刺したところ血液が出て来ない。静脈は見えて居るのに何回刺し直しても採血が出来ない。そこで君やつて見給えとなつて私が針を刺したが勿論出て来ない.数回試みても採血が出来ない,それではやめましようと云うことになつたのを覚えて居ります。今から考えるとなぜ採血が出来なかつたのか不思議に思えて感慨無量です。
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