特集 思い出・追悼論文
想い出
淸水さんの憶出
長谷川 敏雄
1
1東京大学
pp.446
発行日 1954年8月10日
Published Date 1954/8/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1409201070
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筆者が初めて清水さんにお眼にかかつたのは,確か昭和7,8年頃新潟での学会の席上ではなかつたかと思う。当時九大の教授であられた白木先生に紹介され,令息の直太郞君と,もう一人誰だつたか一寸忘れたが矢張り九大の医局員とで佐渡巡りのお供をし,車の上ではいつも両先生の間へ挾まれて非常に窮屈な思をし,楽しかるべき旅行もあんまり楽しくはなかつた記憶がある。其後は何かと御懇意にして頂き,昭和11年長崎での学会の時には,東大教室員一同と共に支那料理の御馳走になり,お土産にベツ甲のカフスボタンを頂いたことがあるが,今でもボタン類の入つた小箱の中にあるのは,其時頂いた品に外ならない。
昭和16年に停年で長大をお辞めになつてからは,東京の吉祥寺に家を求めて転住されたので,それ以来は時々お眼にかかる機会があり,何かの用でお宅へ伺つたこともあつたが.流石長く長崎で過された方だけにその南蠻好みの応接室の調度品など未だに印象に残つている。其後暫く東京医専—現在の東京医大一の講師をされ,淀橋病院に勤務されていたこともあつたようであるが,戦争が苛烈となり東京は危いと思われたものか,再び郷里の武雄町に帰佳されてしまい,19年10月には筆者も熊本に赴任したが,なにしろあの際のこととて近いところにいながら御伺いする余裕もなく,そのうちに終戦ともなり,又筆者自身東京転任と云うことにもなつたりして,甚だ申訳ないことながらつい御無沙汰に打過ぎてしまつていた。
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